☆水はまめに替えてほしい。
喧嘩に勝ったらほめてほしい。
(喧嘩に負けそう加勢して・・・)
おなかが空いたの気づいてほしい
☆:・.*・*・:☆
安らぎがほしいのは亀も飼い主も同じ☆彡
平成17年乙酉生まれの小亀「オオチビとコチビ」
飼い主さん決まりました。ご声援有難うございました。
☆現在ブログの話題は飼い主の菜食や占い、座敷飼亀です。H28年12月で18歳になったカブH30年12月に20歳のマイッタ。四年後輩パーサックの三名がうちのラブリーかめーズです♪*、。*'*。*'皇紀2679年☆平成31年がよい年になりますように♪
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体質が変わる周期が三週間そう二十一日間といわれています。
お参りでも二十一日間の願掛けとか昔からいうのは、自分自身のからだを作り変えるのに掛かる時間から来ているのでしょう。
現在カレンダーはおよそ四週間ちょい、約30日と計算すると21/30=7/10
そう、約七割にあたります。
月が一周する27~28日間を一周期としても約七割です。
朝果物を連続して21日間続けると、味覚がリセットされるので野菜果物嫌いが治ると云われています。治したくない人は余計に残念に感じるかもしれませんね。でも、自分の基本の味覚はやっぱり残りますから大丈夫(笑)
変わるというのは塩分や刺激的な味を好む味覚麻痺が正常に戻るということです。
二十一日といえば、滝行をしていた時に、まずは二十一日間続けてみてくださいといわれて、初期の継続目標は二十一日でした。
この時、特に願とかかけてなかったのですが、お客さんの苦悩が晴れるようにということは、ついつい祈っていたように思います。
二十二日以降も続けたせいもあるのでしょう、 達成感の方は記憶に残っていないのですが、二十一日までの間に早起きする為の工夫をした実感は今も自分のなかに残っています。
朝瀧に行くので五時頃に起きる、その為にはどうしても12時半迄には寝ないと眠くて起きられない。
早寝早起きをする為に、いろんなことをきびきびこなすようになりました。
期間を区切ってお参りや行をするよさは、むしろその過程にあると思います。
継続する為にこまごまと努力する。
それを毎日続ける。
そこがいいんですよ。
継続して早朝起きているうちに、自分自身が変わっていきます。
朝起きるのが苦痛でなくなる。
体重が減少する(笑)早く寝るとからだの作り変えがうまくいくので痩せる原理なのです。
それまでの夜型の生活から朝型に切り替わって、そのまま朝型になりました。それ以降は早朝起きる苦痛というものを感じなくなったのが大きな収穫でした。
当時飼っていた猫(☆)がいざりで、朝、行場に出掛ける前に、抱っこをせがんで起きてくるんですね。それなので猫を抱っこしながらお茶を飲んで新聞を読む時間というのが、習慣になりました。
猫も心得たもので、新聞を取りに行く、お湯を沸かす時間は待ってられるんですよ。
お茶が入って新聞を脇において、猫を抱っこ。
十五分ぐらいじっくりお茶を飲みながら新聞に目を通して・・・出発の時間が来ると、猫もわかってくれて、おとなしく小屋に入ってくれました。
動物は連続した習慣を好みます。
翌々年にその猫は死んでしまったので、あの時間はひとりと一匹にとってかけがえのない時間でした。
二十一日間願掛けでお参りするなら、その間に自身で「気付き」が起こるのが自然です。自分で気付くきっかけの時間でもあり、自分自身を変える時間でもあるのが二十一日間です。
つまりはお參りを始めた時と終えた時で心境、体質ともに変化しているから、運命が変わるということではないでしょうか。
二十一日間の心掛けが大事になります。
(元々の願が掛けていい性質のものかにもよりますね^^;)
ジョギングと一緒で、無理があればからだに来るし、うまく走れていれば快調になります。その結果が二十一日間過ぎてわかるから、二十一日間をひとつのパターン(型)でガン張ってみてはという目安なのだと思います。
これは、自分自身との戦いの場を、神仏のいる場をお借りして行っているということかもしれません。
希望の達成は自分自身との戦いです。
そして、どうあっても受け入れなければならない自分以外の事情、都合、現象を認めるという折り合いがあってのことです。
あきらめなければならない・・・願をかけにいって、本気でまっすぐな気持で礼拝を続けたら、間違った願いを持っていたなら、二十一日のうちにそうと気付くのではないでしょうか。
気付いたらどうするんでしょうね^^;
これは、就職のあっせんをお願いして、やっぱり気が変わったとか、本心に気付いたとか、そういう時と同じだと思います。
おわびして・・・迷惑をわびて・・・。
相手が人間でなく神様というのが、人間よりずっとややこしそうですね・・・。
多くは、叶わない願いと知っていて、それを抱えているつらさに耐えかねて、気を紛らわしたくて、願掛け、お百度まいりをするのではないでしょうか。
二十一日間コーヒー断ちとか、甘いもの断ちとか、そういう軽い縁起担ぎなんかを、いきなり神仏に祈願する前にやってみる方がよさそうですね。
実際に、カフェインや砂糖を断つことで、体質に変化が起きてきてそれがまとまった効果を出すのが二十一日以降のようですから、効き目はあるでしょう。食べ物を変えると性格が変わります。塩分、砂糖を控えると短気が治るのは私も体験済みです。
現在からの逃避をはかりたいことが人生にはありますものね^^;
なにかにすがりたい気持はよくわかります。
どうにも切羽詰まった時には、自分を責めない誰かにすがりつきたくなるものです。
神社よりお寺の方が、どろどろした気持を抱えて出掛けるには、合ってるような気がします(個人的な意見ですがね)
仏像を拝んで、「なんとかなりますように」とお参りしてかえりにお茶飲んだりごはん食べたりしているのは、本当の解決にはならなくっても、とりあえず今日を生きる力にはつながります。
気休めがほしいです。
先送りして夏休みの宿題に苦しんだ経験を持っても、どうしても問題を先送りにする癖が私もとれません^^;逃げれば益々追い詰められるだけなのに・・・。でも知ってるんですよ。いつか決めなければならない時がくる事は・・・。
ちょっとだけ逃がして~。
その気持を汲んでくれるのは、お寺の出す波動に感じます。
神社はおいそれと近寄り難いものを醸し出しています。
神には甘えは通用しないけれど、先祖には甘えを許してもらえるんだなあと思いました。
親に甘えるなっていうように、先祖に甘えすぎもよくないでしょう、でも、親には甘えやすいように、先祖が甘えを許してくれることを子孫は本能的に知っているのかもしれません。
いつまでも現実から逃げていては、折角の時間がもったいないです。それをわかっているから人は、「いつよくなりますか?」と占いにききたくなるのでしょうね。
よくなるのは、自分の目が覚めた時。起きる気になった時が自分の夜明けです。
自分次第で早くも遅くもなります。
とはいっても、いつ頃という目標があると、そんな気になれるものです。だからいい時期を知りたい人間の気持ちが占いを発達させたのかもしれません。
ならば、いい時期を楽しみに、そうでない時期から準備をはじめたいものです。そして折角いい時期を知ったのなら、頑張る気になって活動することではじめて運命が動くことも覚えて置きたいものです。
悪い時期というのは、実はないのです。
ほかの人が主役なだけなのです。
誰かしらがいい年にあたっていることをもっと喜びあえたらどんなにいいでしょう。
自分の出番がない時は、楽屋でうがいしたり、次の出番の台詞をチェックしたり、身体を休める時間にあてればいいのが、占いでいう悪い時期です。
自分の番は必ず回ってきます。
いつも出番がない(><)という人も、死ぬまでには必ず出番はめぐって来ます。めげないで、自分の心を消さないで生き抜いていけば、いつかにっこりできます。
いつか憂いのない日々を送れるようになるのですから、出来るだけ時間を粗末に扱わず人生を大切に、丁寧に生きたいですね。
お参りでも二十一日間の願掛けとか昔からいうのは、自分自身のからだを作り変えるのに掛かる時間から来ているのでしょう。
現在カレンダーはおよそ四週間ちょい、約30日と計算すると21/30=7/10
そう、約七割にあたります。
月が一周する27~28日間を一周期としても約七割です。
朝果物を連続して21日間続けると、味覚がリセットされるので野菜果物嫌いが治ると云われています。治したくない人は余計に残念に感じるかもしれませんね。でも、自分の基本の味覚はやっぱり残りますから大丈夫(笑)
変わるというのは塩分や刺激的な味を好む味覚麻痺が正常に戻るということです。
二十一日といえば、滝行をしていた時に、まずは二十一日間続けてみてくださいといわれて、初期の継続目標は二十一日でした。
この時、特に願とかかけてなかったのですが、お客さんの苦悩が晴れるようにということは、ついつい祈っていたように思います。
二十二日以降も続けたせいもあるのでしょう、 達成感の方は記憶に残っていないのですが、二十一日までの間に早起きする為の工夫をした実感は今も自分のなかに残っています。
朝瀧に行くので五時頃に起きる、その為にはどうしても12時半迄には寝ないと眠くて起きられない。
早寝早起きをする為に、いろんなことをきびきびこなすようになりました。
期間を区切ってお参りや行をするよさは、むしろその過程にあると思います。
継続する為にこまごまと努力する。
それを毎日続ける。
そこがいいんですよ。
継続して早朝起きているうちに、自分自身が変わっていきます。
朝起きるのが苦痛でなくなる。
体重が減少する(笑)早く寝るとからだの作り変えがうまくいくので痩せる原理なのです。
それまでの夜型の生活から朝型に切り替わって、そのまま朝型になりました。それ以降は早朝起きる苦痛というものを感じなくなったのが大きな収穫でした。
当時飼っていた猫(☆)がいざりで、朝、行場に出掛ける前に、抱っこをせがんで起きてくるんですね。それなので猫を抱っこしながらお茶を飲んで新聞を読む時間というのが、習慣になりました。
猫も心得たもので、新聞を取りに行く、お湯を沸かす時間は待ってられるんですよ。
お茶が入って新聞を脇において、猫を抱っこ。
十五分ぐらいじっくりお茶を飲みながら新聞に目を通して・・・出発の時間が来ると、猫もわかってくれて、おとなしく小屋に入ってくれました。
動物は連続した習慣を好みます。
翌々年にその猫は死んでしまったので、あの時間はひとりと一匹にとってかけがえのない時間でした。
二十一日間願掛けでお参りするなら、その間に自身で「気付き」が起こるのが自然です。自分で気付くきっかけの時間でもあり、自分自身を変える時間でもあるのが二十一日間です。
つまりはお參りを始めた時と終えた時で心境、体質ともに変化しているから、運命が変わるということではないでしょうか。
二十一日間の心掛けが大事になります。
(元々の願が掛けていい性質のものかにもよりますね^^;)
ジョギングと一緒で、無理があればからだに来るし、うまく走れていれば快調になります。その結果が二十一日間過ぎてわかるから、二十一日間をひとつのパターン(型)でガン張ってみてはという目安なのだと思います。
これは、自分自身との戦いの場を、神仏のいる場をお借りして行っているということかもしれません。
希望の達成は自分自身との戦いです。
そして、どうあっても受け入れなければならない自分以外の事情、都合、現象を認めるという折り合いがあってのことです。
あきらめなければならない・・・願をかけにいって、本気でまっすぐな気持で礼拝を続けたら、間違った願いを持っていたなら、二十一日のうちにそうと気付くのではないでしょうか。
気付いたらどうするんでしょうね^^;
これは、就職のあっせんをお願いして、やっぱり気が変わったとか、本心に気付いたとか、そういう時と同じだと思います。
おわびして・・・迷惑をわびて・・・。
相手が人間でなく神様というのが、人間よりずっとややこしそうですね・・・。
多くは、叶わない願いと知っていて、それを抱えているつらさに耐えかねて、気を紛らわしたくて、願掛け、お百度まいりをするのではないでしょうか。
二十一日間コーヒー断ちとか、甘いもの断ちとか、そういう軽い縁起担ぎなんかを、いきなり神仏に祈願する前にやってみる方がよさそうですね。
実際に、カフェインや砂糖を断つことで、体質に変化が起きてきてそれがまとまった効果を出すのが二十一日以降のようですから、効き目はあるでしょう。食べ物を変えると性格が変わります。塩分、砂糖を控えると短気が治るのは私も体験済みです。
現在からの逃避をはかりたいことが人生にはありますものね^^;
なにかにすがりたい気持はよくわかります。
どうにも切羽詰まった時には、自分を責めない誰かにすがりつきたくなるものです。
神社よりお寺の方が、どろどろした気持を抱えて出掛けるには、合ってるような気がします(個人的な意見ですがね)
仏像を拝んで、「なんとかなりますように」とお参りしてかえりにお茶飲んだりごはん食べたりしているのは、本当の解決にはならなくっても、とりあえず今日を生きる力にはつながります。
気休めがほしいです。
先送りして夏休みの宿題に苦しんだ経験を持っても、どうしても問題を先送りにする癖が私もとれません^^;逃げれば益々追い詰められるだけなのに・・・。でも知ってるんですよ。いつか決めなければならない時がくる事は・・・。
ちょっとだけ逃がして~。
その気持を汲んでくれるのは、お寺の出す波動に感じます。
神社はおいそれと近寄り難いものを醸し出しています。
神には甘えは通用しないけれど、先祖には甘えを許してもらえるんだなあと思いました。
親に甘えるなっていうように、先祖に甘えすぎもよくないでしょう、でも、親には甘えやすいように、先祖が甘えを許してくれることを子孫は本能的に知っているのかもしれません。
いつまでも現実から逃げていては、折角の時間がもったいないです。それをわかっているから人は、「いつよくなりますか?」と占いにききたくなるのでしょうね。
よくなるのは、自分の目が覚めた時。起きる気になった時が自分の夜明けです。
自分次第で早くも遅くもなります。
とはいっても、いつ頃という目標があると、そんな気になれるものです。だからいい時期を知りたい人間の気持ちが占いを発達させたのかもしれません。
ならば、いい時期を楽しみに、そうでない時期から準備をはじめたいものです。そして折角いい時期を知ったのなら、頑張る気になって活動することではじめて運命が動くことも覚えて置きたいものです。
悪い時期というのは、実はないのです。
ほかの人が主役なだけなのです。
誰かしらがいい年にあたっていることをもっと喜びあえたらどんなにいいでしょう。
自分の出番がない時は、楽屋でうがいしたり、次の出番の台詞をチェックしたり、身体を休める時間にあてればいいのが、占いでいう悪い時期です。
自分の番は必ず回ってきます。
いつも出番がない(><)という人も、死ぬまでには必ず出番はめぐって来ます。めげないで、自分の心を消さないで生き抜いていけば、いつかにっこりできます。
いつか憂いのない日々を送れるようになるのですから、出来るだけ時間を粗末に扱わず人生を大切に、丁寧に生きたいですね。
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