☆水はまめに替えてほしい。
喧嘩に勝ったらほめてほしい。
(喧嘩に負けそう加勢して・・・)
おなかが空いたの気づいてほしい
☆:・.*・*・:☆
安らぎがほしいのは亀も飼い主も同じ☆彡
平成17年乙酉生まれの小亀「オオチビとコチビ」
飼い主さん決まりました。ご声援有難うございました。
☆現在ブログの話題は飼い主の菜食や占い、座敷飼亀です。H28年12月で18歳になったカブH30年12月に20歳のマイッタ。四年後輩パーサックの三名がうちのラブリーかめーズです♪*、。*'*。*'皇紀2679年☆平成31年がよい年になりますように♪
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スピリチュアルな世界っていうのは、時々ブームで盛り上がってそのあとは、ひっそりとそれぞれの心のなかに、自分らしいスピリチュアリティが育っていき、ブームが沈静化するのが自然なんだろうな。
伊勢白山道さんのブログを真剣に読んで、同意共感する部分は、神様を便利屋扱いしない。子孫からのまごころの供養は届く。神棚にはお水と榊があれば、あとはこだわらなくて大丈夫。この三つだ。それを白山道さんがきっぱりと説かれたおかげで、目が覚めることがいっぱいあった。
カメの具合が悪そうなときに、甲羅に手をあてて「大丈夫?」と口に出した時に気づいた。
「○○の女神の力とか、もっと大きな力で治してあげられたら・・・そう思うと同時に気付いた。ああ、呪文が入ると、集中するのが亀でなく、女神になってしまう。亀の具合がよくなるようにって、それだけに集中した方がいい」
ほんの一秒もかかっていない。瞬時に悟った。
本気で亀のことが心配だったので、気づいたのだと思う。
そしてisehakusandoブログを読んでいなかったら、気づけなかったかもしれない。治療にきく文言とか探しまくって唱えまくってたかもしれない。
そういう大事なところの目覚めはおかげさまだ。
isehakusandoブログを読んで困ったのは、自分は占い師だから正神に愛されないのか・・・そう思った時に落胆した。そこはお友達から貰ったメールがきっかけで回復したが、それでも神に愛されない自分と思うと重かった。それでも自分のなかに神をあずかっているということ、感謝の心の大事さを深く教えてもらったことで、内在神の委縮が治った。委縮しながら治っていった^^;
占い師を続けていくことが必要なのかどうか。
私が占い世界からいなくなったら、私のお客さんが何かあっても私に文句をいえなくなって困るだろうから、今のところやめる気はない。
占い師をもしやめるなら、人の影響ではなく、自分自身の考えだけで決めなければ、今まで占ってきたお客さんに申し訳ない。他人がきっかけで占い師をやめるようでは自分の否定になってしまって、それこそ外在するなにかに軍配をあげたことになる。
拝一刀が「冥府魔道を自分が行くと決めたのなら、そのまま行くのが今まで切った相手への誠意だ」というような事を子連れ狼で言っていた。私もそう思うようになった。占い師のいく地獄があるんだってと、十年ぐらい前に聞かされた事がある。いやだなあ落ちたくないなあとその時は思ったけれど、今はじたばた思わない。
ただ一刀のように五百両も貰ったことはない(笑)
霊能者も占い師も必要のない時代は本当に来るかもしれないけれど、武器のない世界を!といって、武器を捨ててしまうのは・・・コワイ。それと同じで、理想論を即実践してしまうのも不用心だ。チベットは仏教を信じ切った為に今日の事態を招いた。その結果チベットの人は苦しみ続けている。
宗教的な思想は政治とは相容れない。
私にとって占いはスピリチュアルではないという事なのだ。(スピリチュアル占いをしている人で素敵な人はいっぱいいるけれど)
三本の御線香供養は、とても気に入っているので、心をこめてこれからも続けていく。
占いは、細々とこれからも続けていく。交番のおまわりさんみたいなものだと思う。そういう意味で続けていく。
占いで人が幸せな気持ちになるところを見たいけれど、占い師としての需要がなくなればやめたも同然だ。でも、誰一人お客さんが来なくても、私は自分の占いの研究は続ける。やめろと言われてもやめられない。それに私自身が自分の占いのお客さんだから、最低でもひとりはお客さんが残っている。ひとりでは食えないけれど、私にとって私は理想の占い師な事は確かだ(笑)
この頃タロットの新しい解釈でマジシャン、死神、節制、悪魔、塔のカードを読んでいる。
死神は骨、賽コロを表している。つまり、死神が出たら、新しい未来を生み出せということ。終わりなのではなく、未来は白紙、未来を作れというメッセージ。
マジシャンは奇術師で、奇は鬼に通じる、鬼は魂に通じる・・・と、十干十二支の研究からはじまって、タロットの新解釈を得ている♪(これについてはいずれ・・・また)
伊勢白山道さんのブログを真剣に読んで、同意共感する部分は、神様を便利屋扱いしない。子孫からのまごころの供養は届く。神棚にはお水と榊があれば、あとはこだわらなくて大丈夫。この三つだ。それを白山道さんがきっぱりと説かれたおかげで、目が覚めることがいっぱいあった。
カメの具合が悪そうなときに、甲羅に手をあてて「大丈夫?」と口に出した時に気づいた。
「○○の女神の力とか、もっと大きな力で治してあげられたら・・・そう思うと同時に気付いた。ああ、呪文が入ると、集中するのが亀でなく、女神になってしまう。亀の具合がよくなるようにって、それだけに集中した方がいい」
ほんの一秒もかかっていない。瞬時に悟った。
本気で亀のことが心配だったので、気づいたのだと思う。
そしてisehakusandoブログを読んでいなかったら、気づけなかったかもしれない。治療にきく文言とか探しまくって唱えまくってたかもしれない。
そういう大事なところの目覚めはおかげさまだ。
isehakusandoブログを読んで困ったのは、自分は占い師だから正神に愛されないのか・・・そう思った時に落胆した。そこはお友達から貰ったメールがきっかけで回復したが、それでも神に愛されない自分と思うと重かった。それでも自分のなかに神をあずかっているということ、感謝の心の大事さを深く教えてもらったことで、内在神の委縮が治った。委縮しながら治っていった^^;
占い師を続けていくことが必要なのかどうか。
私が占い世界からいなくなったら、私のお客さんが何かあっても私に文句をいえなくなって困るだろうから、今のところやめる気はない。
占い師をもしやめるなら、人の影響ではなく、自分自身の考えだけで決めなければ、今まで占ってきたお客さんに申し訳ない。他人がきっかけで占い師をやめるようでは自分の否定になってしまって、それこそ外在するなにかに軍配をあげたことになる。
拝一刀が「冥府魔道を自分が行くと決めたのなら、そのまま行くのが今まで切った相手への誠意だ」というような事を子連れ狼で言っていた。私もそう思うようになった。占い師のいく地獄があるんだってと、十年ぐらい前に聞かされた事がある。いやだなあ落ちたくないなあとその時は思ったけれど、今はじたばた思わない。
ただ一刀のように五百両も貰ったことはない(笑)
霊能者も占い師も必要のない時代は本当に来るかもしれないけれど、武器のない世界を!といって、武器を捨ててしまうのは・・・コワイ。それと同じで、理想論を即実践してしまうのも不用心だ。チベットは仏教を信じ切った為に今日の事態を招いた。その結果チベットの人は苦しみ続けている。
宗教的な思想は政治とは相容れない。
私にとって占いはスピリチュアルではないという事なのだ。(スピリチュアル占いをしている人で素敵な人はいっぱいいるけれど)
三本の御線香供養は、とても気に入っているので、心をこめてこれからも続けていく。
占いは、細々とこれからも続けていく。交番のおまわりさんみたいなものだと思う。そういう意味で続けていく。
占いで人が幸せな気持ちになるところを見たいけれど、占い師としての需要がなくなればやめたも同然だ。でも、誰一人お客さんが来なくても、私は自分の占いの研究は続ける。やめろと言われてもやめられない。それに私自身が自分の占いのお客さんだから、最低でもひとりはお客さんが残っている。ひとりでは食えないけれど、私にとって私は理想の占い師な事は確かだ(笑)
この頃タロットの新しい解釈でマジシャン、死神、節制、悪魔、塔のカードを読んでいる。
死神は骨、賽コロを表している。つまり、死神が出たら、新しい未来を生み出せということ。終わりなのではなく、未来は白紙、未来を作れというメッセージ。
マジシャンは奇術師で、奇は鬼に通じる、鬼は魂に通じる・・・と、十干十二支の研究からはじまって、タロットの新解釈を得ている♪(これについてはいずれ・・・また)
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